2015年9月20日日曜日

善光寺 境内巡り

改めて善光寺の境内をゆっくりと回ってみる

山門は三門ともいい正式には三解脱門(解脱により涅槃に至る三つの方法のこと)というらしいけど昔の寺院は山にあることが多かったことから山号(山の名前)のついている寺院が多いらしい
お寺のある山に入山する門だから山門でいいのかも
山門の二階の楼閣には山門本尊の文殊菩薩像と四方を守る四天王像や四国八十八ヶ所霊場分身仏が安置されている
居ながらにして八十八ヶ所巡りができるということ?
振り返れば善光寺表参道が見渡せる
今日は彼岸の入りでちょうど彼岸会の時間なので大勧進の貫主が本堂に登るところ
こんな眺めは滅多に見れない!
ちょうど真上には「善光寺」の額
この角度も滅多に見れない(笑)

親鸞聖人像
浄土真宗の宗祖親鸞聖人が善光寺に参詣した折に善光寺如来に松の枝を捧げたという故事に基づいて作られたもの

佐藤兄弟供養塔
源義経の忠臣、佐藤継信、忠信兄弟の冥福を祈って建てられた境内で最も古い石塔

仏足跡碑
もともと、お釈迦様が教えを説いた場所を示すためにその足跡を石に刻んだものらしいが…さすがにここには来てないよね?

忠霊殿、善光寺資料館
日本で唯一の仏式による霊廟
1階には資料館が併設され善光寺御開帳の映像を見ることができる
今は経蔵が保存修理中なので特別展として経蔵内の仏像や輪蔵に納められている一切経など普段見ることのできないものを拝見することができる

乳牛親子像
乳牛の親子「善子さん」と「光子さん」の像
まさか牛に引かれて…の牛さんではあるまいし…
某乳業屋さんの寄贈でした
なんか境内の中でここだけちょっと違う雰囲気というか1番ほっこりとするスポットかも

迷子郵便供養塔と花霊碑
宛先にたどり着かず返信先も不明な「迷子郵便」を焼いてその灰を納めた供養塔生け花に使われた花の霊を慰めるために華道の家元によって建てられたもの

大本願廟

徳川将軍大奥供養碑
江戸初期の大奥関係者の供養塔
江戸で出開帳が行われた時は大奥の強い希望で前立本尊が江戸城に迎え入れられたこともあったとか

大勧進廟

折しも、今度は彼岸会に大本願上人が本堂に登るところ
お朝事の時は副住職がお勤めされたけど彼岸会は住職本人がお勤めされるよう
今の尼公上人は第121代目だそうな(すごっ)

道具塚
本堂の右(東)側が山王塚
左(西)側が諸神塚
本堂を造営した時の大工道具を埋めて本堂の守りとしたものだとされている
石は戸隠のものと同じらしくなんらかの縁がありそうな気もする

鐘楼・梵鐘
南無阿弥陀仏の六字にちなんで6本の柱で建てられているとのこと
長野オリンピックの開会を告げた鐘として有名

小林一茶句碑
春風や牛に引かれて善光寺
開帳に逢ふや雀も親子連

地震塚
こんなところにこんな塚があったとは…
寛慶寺北側に善光寺事務局があるんだけど、実はこの西側に目立たなくひっそりと建っている
地震は御開帳中の夜10時に起きたらしい
マグニチュードは阪神淡路大震災よりも大きい M7.4
町民1400人、参拝者1000人もの人が亡くなったとか
きっと極楽浄土に行かれたのだと信じたい

そもそも如来堂が旧地にあった時の善光寺参りは参道にはいってまず東にある世尊院釈迦堂に参って現世の知恵を授かり…
次に西側の如来堂に参って死後の極楽浄土行きを願ったらしい
昨日はほぼ素通りしたのでやり直し(笑)

ここも閉まっていたので再び大本願へ
すると…えっ?
こんなところに輪廻塔?
経蔵にあるはずのものと同じもののように見える
あちらでは回せなかったのでこちらで回しちゃおう♪
境内には芭蕉の句碑があった
「月影や四門四宗も只一つ」
いかにも善光寺らしき俳句かな…

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